3/20 寺澤会
3/20に行われた寺澤会の備忘録
- プライベートと仕事以外の、サードプレイスとしていすみがあることが、精神的にすごく良い
- いすみでの自分の活動のことを考えると楽しい
- 研究員としての立場と、運営サポーターとしての立場が混在しているような感じがあって、少し、もやもや感がある
- どのくらいのコミットを求められているのか、突っ込んでいいのかを、もう少しはっきりさせたい
- ラーニングセンターのゴールは明確にある。スタートもした。ただ、ブレイクダウンしたスケジュールとマイルストーンがあると、動きやすい。ゆるゆるでもいいから
- 例えば半年後、1年後、2年後、5年後みたいなタームでイメージを共有できるといい
- それをペンギンズで議論しても全然いい
- 判断、決断は創造系いすみがする
- ラーニングセンターの運営組織は、研究員をサポートすることがメインの活動ではないか。つまり中間支援組織
- 中間支援組織は、基盤構築、主体形成、機会の提供という3つを主な目的としたらどうか
- 研究員は3層くらいに分けて考えると、何をサポートすればいいのか分かりやすいかもしれない
- いすみでローカルビジネスを企画/実施したい人、いすみに限らずローカルビジネスというものを考えたい人、趣味の研究員
- もちろん明確に3つに別れるわけではなくて、グラデーションがある
- 結構、趣味の研究員の需要は大きい気がする
- 東京から70分という距離感覚は、多くの人に刺さるとおもう
- インフラ構築が急務ではないか。ハード的、ソフト的な両面で
- 友人知人にいすみを紹介したいという気持ちは強いが、タイミングが今かどうか迷う
- もう少し受け皿がハッキリしてからのほうが、紹介しやすいし、気に入って研究員になってくれた人の活動も継続しやすい気がする
- ハード的な、拠点などの材料は出てきている
- ウェブサイトやロゴなどは、求心力や象徴としてのインフラである
- ロゴは普通に作っても良いけど、デザインルールを決めて、複数あってもいいし毎年変わっても面白いかも
- カルテは面白い
- ウェブサイトでは研究員の個人のページがあって、カルテ(プロフィール的)と、研究室(活動内容)があるといい
- 個人の研究にしっかりフォーカスすることが大切
- 研究室ページを見たときに、個人活動の経験の蓄積が、見える化されているといい
- サポーターズヴォイスとして、その人の研究活動に対して「参考になりそうなこんなサイトあるよ」とか「その研究ならお手伝いできるかも」とか、そういうオープンな機能もあったらいい
- いすみで活動するのにあたって、足が欲しい。見所が点在しているから
- 研究員が補助金や助成金を得るための方策も考えたい
- 将来的に、いすみラーニングセンターのやり方、方法論を学びに、各地から1年くらい運営組織に短期留学にくる、みたいなことになると良いかも
- 公的機関との連携
- 企業との連携
- 大学との連携
- 研究員は教わるだけではなく、教える側に立つのも良い。教えると深く理解できる
- 頼まれてないけど教える会
- 例えばコーヒーが好きだから、「美味しいコーヒーの入れ方教室」やってみる、とか
- 講師への報酬は地域通貨とかがいいかもしれない
- お試し店舗経営、とかできるといいかも。ハードル高そうだけど
- 文化活動もあるといい
- いすみDJ、天徳院で演劇、能とか、ミニシアターとか
- Forest Jamっていうちょっとアングラなイベントがいすみにある
- spotifyのプレイリスト欲しい
以上。
インプットの時間を増やす考え方
半年くらい前から意識してインプットを増やしているんだけど、インプットそれぞれの話題はべつに書くとして、全体的に分かったことは、スマホゲームに相当おおきな時間を取られているということ。
40代に入って、いろんな身の回りの状況の変化によって可処分時間が増えたのだけど、時間の使い方に意識を注がないとゲームしてる。ガンダムウォーズとか。サカつくとか。ゲーム面白いよね。
でも何かを自分にインプットしようと、少し強い要請、プレッシャー(外からではなく自発的な)を持つと、自然に日常の中の削れる時間を使って、インプットのための隙間を作り出す。
それが私の場合、スマホゲームの時間だった。いい大人が、とひと昔前なら言うのでしょうか、今や老若男女問わずやっていますからね。
でもこれはたぶん、順番が逆だと上手いこといかなくて
スマホゲームやめる→別のことに時間を使う
ではなくて
別のことに時間を使いたいと思う→スマホゲーム時間が減る
の順番だから上手くいったんだな。
「うしろめたさの人類学」でいうところのバランス、ですね。
スマホゲームをやめた訳ではなくて、インプットしたいという欲望と、スマホゲームをしたいという欲望が自然にバランスされた感覚がある。
そうすると大切なのは、インプットしたいという欲望の内面化、だ。インプットしたいという欲望が外から与えられたもののままだと、スマホゲームがしたいという欲望との直接的な削り合いになってしまい、大抵の場合は簡単に楽しめる方が勝つ。
そうではなく、インプットしたいという欲望が内面化され意識化されることで、一旦空隙を作り、その空隙をインプットとゲームの欲望でバランスする、そういう手順で進むと無理が少ないから成功しやすい。
「謎床」で松岡正剛氏が言ってた、編集は先に空隙を作ることが重要、というお話と少し似てます。
糠漬けを続けてみている
発酵ぬかどこ1kg 通販 | 無印良品
https://www.muji.net/store/cmdty/detail/4550002787738
発酵が気になってくると、人はヨーグルトへ進むか糠漬けへ進むか、だいたい2択です。いや麹や味噌、納豆やザワークラウトもあるか。
まぁいいや、私は糠漬けへ行きました。
そもそも糠床を用意するのって大変じゃん、と思っていた時期が私にもありました。
無印ってすごいね。目の付け方がいやらしい。いや良い意味で。なんでもあると思わせる何かがあります、無印良品には。
そういうわけで、ネットで調べたら無印が糠床売ってるって知って、さっそく秋葉原の無印良品に向かいました。店員さんに糠床置場をお聞きして糠床ゲットです。ついでにホーローの入れ物も買いました。袋のままでも全然いいみたいなんですけど、雰囲気づくりです。
無印良品の発酵ぬかどこが人気。バルブ付きホーロー保存容器の使用もおすすめ【ブログレポート】
https://www.spoonhome.com/mujihakkounukadoko/
ここですごい詳しく書かれていて、このとおりやれば失敗なし。ちゃんとおいしい糠漬けが出来ました!お手入れが週1でいいっていうのも、ズボラな私にはgoodです。
しばらくはこのまま続けて、そのうち自分好みの味を見つけたいと思います。
teaイベントの告知で台湾茶を思い出す
先日青山の青山ブックセンターに行ったら、こんなイベントの紹介してました。
tea for peace 2019
日本茶や中国茶、韓国茶などをそれぞれのテントで紹介するイベントらしくて、以前行ったことのあるcoffee festival のお茶バージョンですね。きっと。ちらりと見たら台湾茶も出店するみたいで、そうなると気になりますね〜。
年末に初めて台湾へ行ったときに寄った、中山の「新純香」というお店が、台湾も台湾茶も初心者の私たちにとってはちょうど良くて、また行きたいなーと思い出しました。軽めの台湾烏龍茶が爽やかで、家に買って帰ってからもしばらく飲み続けましたね。
香りを味わう贅沢、そういう時間を持てるような心の余裕が大切だと、改めて思います。経済的に許してくれる状況ももちろん重要ですけどね。
今週末、時間が許せば青山に行ってみよう。
新純香
https://tabelog.com/taiwan/A5403/A540306/54000399/
素朴な疑問は答えづらい
昨日いすみで帰りの電車を待っているときに、20歳の大学生さんから
「仕事で一番何が大変ですか?」
と聞かれて困った。
私は一応建築業界のいろいろな会社で様々な経験をさせてもらって、今の会社では建築のコンサルタントみたいなことをしている。なので、建築プロジェクトを進める際のいろいろ大変なことは思いつく。事業計画や設計企画などの初期計画での難しさや、コストやスケジュールのマネジメント、品質の管理、複数業者のコントロール、行政等手続きの進め方、検査時のチェックポイントなど上げだしたらキリがないのはどの業界もそうだろう。
しかし
「コミュニケーションかなぁ」
と答えさせてもらった。
これもどの業界でもそうだろう。あらゆるところでコミュニケーション不全によるトラブルが起こる。私たちの業界はとりわけ、プレイヤーが多いために十分な意思の疎通が必要であるのに、一方で業界の構造が昔から固定されているため慣例や暗黙の了解が多く、また作ってしまってから直すことが難しいこともあって、コミュニケーショントラブルが多くまた影響も大きい。
私たちのようなコンサルは、その各プレイヤーの調整役を期待されることが多く、板挟みの中でプロジェクトを前進させるべく動き回ることが多い。
まぁ、「最終的になんとかする」っていうのがマネジメントの一つの成果だからね。なんとかするけどさ。
そんなことを学生さんと対話をしながら
だから、仕事として報酬をいただき、社会の役に少しは立てているのかなと
そうふと思った。
私は別に、仕事というのは大変な作業だから対価が貰える、ということを言いたいのではない。ニュアンスが難しいが、やはり人や社会から必要とされるからこそ、その業務に報酬が与えられるのだろう。
この変化の激しい世の中で、どのように必要とされ続けるのか、そう誰もが当たり前に考えていることを当たり前に私も考えている。
そして私なりの答えはもう出ている。先に書いた通り、コミュニケーションだ。
私はコミュニケーションの技術をより高めていくことで、必要とされ続けられる存在を目指している。
とりあえず今は。
「うしろめたさの人類学」を読みました 02
前回に引き続いて。
うしろめたさ、もよく考えるとなかなかにパワーワードだなと感じる。
エチオピアで物乞いをする人々から感じるうしろめたさについて論じられていますが、日本にいて普通にサラリーマンをやっていても、意外とうしろめたさをきっかけに行動をしている場合がある気がする。
このあいだ資料作ってもらったから今回は手伝おう、とか。前の飲み会断っちゃったから今度は行こう、とか。俺の方が若いから席立とう、とか。皿洗ってもらったからゴミ出そう、とか。
うしろめたさみたいな弱めの感情なんか無視して、もっと合理的なロジックを根拠に行動したほうが良い、というのが都会の一般的な雰囲気だと思っていたのですけど、ミクロに見ていくとそうでもないのかな。このあたり、経済合理性についての本など今度読んでみよう。「予想通りに不合理」あたりかな。
交換モードと贈与モードについても腑に落ちる。でもそう考えると上の例なんかは贈与モードからの交換モードなのか。うしろめたさを媒介にした贈与と交換の行き来とでもいうのか。このあたりもう一回読み直してみよう。
でも単純に、交換モードのほかに贈与モードを自分に備えておく、というのは日常を気分良く過ごすために良いと思う。というか、だいたい4つくらい自分のベーシックなチャンネルを作っておくと、何かで落ち込んでも別のチャンネルに切り替えることで気分が落ち着いたりするから、交換・贈与モードを土台にチャンネルを増やせそうな気がする。チャンネルでもコミュニティでもモードでもカテゴリーでもなんでも良いけど。
今度地方で活動する予定だけど、とりあえず贈与モードで入りたいだよなぁ。
日常を楽しく過ごそうとすると、合理的な行動とうしろめたさみたいな感情からの行動のバランスをとることが大切なのかなと思う。そしてそのバランサーがうしろめたさなのかもしれないと思うと、入れ子状態でそれも面白い。
「うしろめたさの人類学」を読みました
良い本を読むと、いろいろと書いておきたいことが沢山でてきてしまう。なんでもかんでも書こうとするとそのハードルの高さに気後れしてしまうので、なにか少しだけでも書いておこう。
本屋で、うしろめたさの人類学、というタイトルを見たときにすごく気になって、でもなんとなく買わないできたのだけど、何か賞を受けたとの(毎日出版文化賞か)紹介文がきっかけで読み始めました。ミーハーだな。
構築人類学、いま在るもののなかで崩したり、ずらしたり、組み直したりして、大きなものでも少しずつ変化させていく、構築していくという地に足のついた実践に対して、共感した。
若い頃は、理想とするものと現実社会とのギャップを目の当たりしにて、そのゴールの遠さから自分の能力の足りなさに目を背けていた。だけどそろそろ人生の後半戦になってきて、少しの諦念と、少し視野が広がったこと、少し力が着いたこと、少しやさしくなったこと、少しずるくなったこと、少し自分を分かってきたこと、そんなことから主体的に社会で活動することに手応えを感じてきて、楽しくなってきている。
全部自分でやらなくていいのだ、少しずらしてみるだけで、何かが変わる。変わること自体を楽しめば良い。
うしろめたさの人類学は、それを先行して実践しながら、センシティブに、でも力強く応援してくれている。
行動が社会につながっていることが信じられると日常が豊かになる。そんな経験を自分の周りの人も感じてくれると嬉しいなと思う。