20190602 経営者合宿振り返り
これは日記である。
5月にお手伝いした経営者合宿について、振り返り反省をメモしておこう。
以下箇条書きで考えと気持ちを整理してみる。
・まずは、プログラムをもう少し掘り下げるべきだったのではないか
・なぜか
・課題を再設定するという目標を達成できたかどうか
・目標へのアプローチの、最大公約数的な方法論は持っておきたい
・比較基準として
・時間を効率的に使う必要がある、限られた時間と場所だから
・他者の課題のシェア→気づき→新課題の仮置き→因数分解→再構築
・最終アウトプットが5ヶ年計画でいいのか問題
・「私の、今最も取り組むべき課題は〇〇であり、それを達成すると〇〇となる。そこに至る5ヶ年計画を立てました」
・最初の自己紹介でもっと深掘りしたほうが良い
・周りが見えていない
・時間管理ができていない
・深堀すべきタイミングと、次の話題に移るタイミング
・ファシリテーションの評価とフィードバック
・人数が、リソースが多すぎたのではないか
・1チーム3名が良いかなぁ
・全体で10名前後
・3チームだと寂しいか
・9名だと把握しやすいので、意外性が減る心配がある
・最後の発表は16人は多い
・12名でもギリギリかなぁ
・メンバー分けは結構良かったのでは
・初日のバラバラ感と、2日目のレベリング
・個人の作業時間、考える時間を合間あいまに取って、説明する時間もとった方が良い
・考えたことを蓄積、流れの見える化、ポータブルできるような手法が必要
・道具、時間、場所
・誰かに説明することの効用
・ある程度の枠組みは、あった方が全体の効率は上がる
・答えを求めるのではなく、問いを発見する時間であったほうが良い
・課題に対する視点の収集を自ら行えるような状況づくり
・課題設定成功例の紹介があっても良いかも
・パターン化したもの
・例えばブランディング、人材育成、他分野進出、報酬変更、会計整理
・悩みや迷いを持った時に、比較対象として活用する
・主体性を取り戻すことがサブコンセプトとなる
・フォローとしてのスピンオフ、分科会の実施があっても良いかも
・アイデンティティ探索、会計の整理見直し、資金調達の方法、報酬のもらい方あげ方、人材育成、事業企画書作成講座(主に資金調達のため)
とりあえず今のところは以上。
20190531 ウェブサイトを作ること
これは日記である。
ちょっとしたコミュニティのウェブサイト作成を相談して、2000万くらいかなぁと返されたらしい。
・そんなにかかるの⁈
・そのくらいの報酬欲しいよね
という2つの相反する心情が生まれて困惑する。困惑するというか、少し保留しておこうかな、という気持ちになる。
別に見積もりの妥当性を疑ってはいない。そんくらいかかるのかー、という衝撃はあるけど、そうなんだ、という理解。
一方で、全然そんなお金出せないよー、という現実から湧き上がる感想。まぁ神様から、そのくらい払えるコミュニティに早くなりなさいよ、という激励の言葉かもしれないな。
資金調達の方法は今の時代、複数の選択肢があるので、不可能かと聞かれると、不可能ではないけど、と答えるだろう。
この「けど」は大切にしたほうが良いような気がする。
2000万が身の丈にあっているのか、それをきちんと判断したい。将来的な可能性も見込んで、2000万をウェブサイトづくりに投入するに値するコミュニティだろうか、と。批判的な視点だけでなく、肯定的な見方からも眺めてみて、どのくらいの評価に値するコミュニティになりそうか、という考え方。
そうすると、ではこのコミュニティの価値はどう判断すれば良いのか、というあたりに論点は移っていく。
コミュニティの価値をどう測るのか
コミュニティの価値を漏らさず表現することは、きっと難しい。でも多くの繋がりを生みたいと思うから、表現することは避けて通れない。さてどうしたもんか。
「大きく構えて、シャープに打つ」
師匠の言葉である。
コミュニティの影響を最大限視界に収めながら、ひとつの切り口で評価を判断し表現すること。その切り口を複数用意すること。
まずできるのはこのくらいだろう。その後、複数の切り口の相互浸透的で複雑な関係性を、なんとか見つけて他者に分かるように提供していけたら最高でしょう。
一方で、コミュニティウェブサイトの作成で2000万くらいの報酬が得られる社会であって欲しいという願いもあります。他者の仕事の価値を貶めることは、周り回って自分の仕事の価値も貶めることになると思うから。
まぁ結論としては、AWSでセルフビルドのスモールスタートだよねー。
20190530 ローカルを考えるイベントに行ってきた
これは日記である。
昨日の夜、ローカルを考えるイベントに行ってきた。
地方の将来をボトムアップで考え、実践することについて、というような内容で、徳島や伊豆、鳥取などで活躍されている方たちのディスカッションです。
いくつか記憶に残っているキーワードを残しておこうと思う。
・リソースが多すぎる
これはそもそもイベントの運営に関してで、リソースが多すぎるとその紹介だけで時間が費やされてしまい、話が継続的に深まっていかない、という反省の言葉です
・人が増えることって良いことなの?
これがテーマだったけど、これに関しては特に成果は無かったかな。無くて良い問いだけどね。まぁ人数より質が大切だろうという大まかな方向性はあった。
・アンケートはとらない
住民アンケートで新しい物事は生まれない、というのは、なるほど感があった。既存のものについての善し悪しや改善などにアンケートは使うべき。
・将来世代、というキーワードの大切さ
高齢化率が50%を超えるような地域で何かやろうとするとき、将来世代というキーワードがあると、自分の利益から少し距離を置いて物事を見れるようになる
・まちの、一つひとつの仕事を、人が育つ場として、多義的な機械にしていく
仕事はひとが育つ機会、という考えが小さなまちでは必要。まちに技術をストックしておかなくてはいけない。
・デザイナーは頼まれて仕事をするが、アーティストは勝手にアクションを起こす
これって、主体的ってことだよね。アーティスト心が大切。
・漏れ出る、滲み出る=ローカルが立ちがる
これ結構発見だった。個人から主体性が漏れ出てしまうような活動(ナカガワさんの場合は歌)は、その場にローカルを立ち上げているのではないか仮説。つまりどこにいても、超個人的なコミットメントが漏れ出てしまうと、その場はその人のローカルになる理論。
・消費者がたくさん来てもしょうがない
ゴミが増えるだけ。
・楽しそうに見える活動ではなく、楽しむ、そういう状況作り
そっちの方がはるかにコスパが良い。状況作り大切。
・より生きてる、活きてる状況に近づく選択をする
・いのちを活かす方向へ
判断基準として
以上
20190527 地域通貨とか
これは日記である。
何でそう思ったのか忘れたけど、昨日、ふとした拍子に思ったこと。
信頼の負債としての貨幣は、顔の見えるもの同士でのやりとりがしんどい気がする。
地域通貨を考えた場合、記帳型が素敵だなと思ったのだけどそこが少しヘビーな部分だった。
アンペイドワークの可視化だけが目的であれば、地域通貨というより、感謝の表現、いまなら「いいね」を贈ることで十分かもしれない。
しかし「うしろめたさ」の流動性を高めるという意図を持つと、人間経済で循環する仕組みが何かしら要請されるのではなかろうかと思う。
ここに記帳型の地域通貨が素敵だなと思う基礎があるのだけど、直接のやりとりは負債/うしろめたさを負うものだけでなく、負わせるものもしんどいだろうと推測する。
しかし存在の薄い中心としてのラーニングセンターを媒介とすることで、いい距離感になるのでは無いだろうか。つまり借りを作るものはラーニングセンターという法人格に借りを作り、貸しを作るものも同様になる。記憶の中でしっかりとうしろめたさを残しつつ、負った個人に対しては大きな感情を持たないことができる仕組み。そこにはやはり空白が、余白が必要だろう。バランスをとるために先に在る空白としてのラーニングセンター。
あと、ラーニングセンターは溜め込んではいけない。流動性を高める役割として中心に存在する。それもとても大切な役割だが、一番大切ではない。いつも何かに席を譲ることができるような謙虚さで、ラーニングセンターは借りを作り借りを返す。
抽象的になり過ぎた気もするけど、まずはこんな想いからスタートしても良いのではないだろうか。いくつも在る地域通貨のひとつとして。
20190525 日記
これは日記である。
今日は帰りが遅くなってしまった。反省。
いろいろ話を聞いてみようとする。
今日気付いたのは、話をまとめようとしすぎなのでは?ということ。
もっとまとめたり整理したりしなくていいんじゃないか。議論を尽くして、そのあとに何かできることを少しする、そのくらいでいいのではないかと感じた。
あまりに整理しすぎると、納得してしまって、より深い部分を引き出さないまま、進んでいってしまう。
急ぎすぎているのかな。
もう少しゆっくりと話を聞いて、肯定し、次の言葉を待つ。
そうしていこう。
20190523 理解の秘密 コンテクスト
これは日記である。
いろいろ考えようとして結局何も考えていなかったりするので、まぁとりあえずこれは日記だよと宣言をしておけば、少しは書き易かろうという思いで冒頭に書いてみる。これからしばらくは冒頭に書いてみよう。
昨日あたりから「理解の秘密」リチャード・ワーマン、を読み出した。
いきなり数ページ目から情報伝達の極意的な「インストラクション5つの要素」送り手、受け手、内容、チャンネル、コンテクストとかあって大興奮している。
こういう他者から伝えられた大切なことって、自分で使ってみるまで分からないとようやくこの年になって分かってきたので、送り手、受け手、内容、チャンネル、コンテクストを気づけるときはしっかりと意識してみようと思った。
今興味が一番あるのはやっぱりコンテクストかな。どういう文脈、状況、流れの中でメッセージを発するか、逆に受け取るか。
これまでは割と状況を分かっている方だと思っていたけど、今日の仕事のこととか思い返してみると全然そんなことない。
それに、読んだ空気や文脈に自信を持たないと意味がない。読んでもアクションに繋げなければ、いないと一緒だ。
そういう意味では自信をつけるか、それとも自信がなくてもアクションできる状況をつくるか。
もうすぐスクールの講師だけど、スクールの文脈、時代の流れ、個人の状況、そういったコンテクストのなかで、ちゃんと伝えたいことが伝わるように、準備をしよう。
ウェルビーイングと自分を知ることと
今発売中の雑誌WIREDでウェルビーイングを特集している。正確にいうと「デジタル・ウェルビーイング」。
まだ途中までしか読んでいないけど、ますます「自分を知る」ことの重要性が増しているようですなぁ。
そもそも、自分のことをよく知らない、ということにいつ気づけるか問題がある。
というか、自分をよく知っているという前提で毎日を過ごすより、よく知らいないという前提に立って毎日を過ごしたほうが、いろいろと豊かに過ごせることが多いということに歳をとってから気づいた。私の場合は。
そういう気づきから何か自分のことをひとつ知るたびに、楽になっていく感覚があるし、楽しみにもある。他者とのコミュニケーションも少しずつ楽になっている。
これはもしかしたら、自分を客観的に見ることに繋がっているからだろうか。
そうかもしれない。
自分を知るには、動きが必要だ。
変化が無ければ認知することができないと、誰かが言っていたが、私もそう思う。私が思うところの、ちょうどいい湯加減の風呂理論だ。ちょうどいい湯加減の風呂にじっと入っていると、自分の身体とお湯の境が分からなくなってくる。どうでもいいなこの話。
まぁそういうことで自分を知るには強制的に動きを出す必要がある。自分の立場を変えたり、場所を移動してみたり、他者の視点を取り入れたり。
経験上一番良いのは、家族や友人に聞いてみるのが良い。自分で気づいていない自分を紹介してくれる。
ウェルビーイング自体はすごく主体的で主観的なことだけど、ウェルビーイングを高めるために客観的な視点が効果が高いということは、とてもバランスがとれていて良いなと思う。