ウェルビーイングと自分を知ることと

今発売中の雑誌WIREDでウェルビーイングを特集している。正確にいうと「デジタル・ウェルビーイング」。

まだ途中までしか読んでいないけど、ますます「自分を知る」ことの重要性が増しているようですなぁ。

 

そもそも、自分のことをよく知らない、ということにいつ気づけるか問題がある。

というか、自分をよく知っているという前提で毎日を過ごすより、よく知らいないという前提に立って毎日を過ごしたほうが、いろいろと豊かに過ごせることが多いということに歳をとってから気づいた。私の場合は。

そういう気づきから何か自分のことをひとつ知るたびに、楽になっていく感覚があるし、楽しみにもある。他者とのコミュニケーションも少しずつ楽になっている。

これはもしかしたら、自分を客観的に見ることに繋がっているからだろうか。

そうかもしれない。

 

自分を知るには、動きが必要だ。

変化が無ければ認知することができないと、誰かが言っていたが、私もそう思う。私が思うところの、ちょうどいい湯加減の風呂理論だ。ちょうどいい湯加減の風呂にじっと入っていると、自分の身体とお湯の境が分からなくなってくる。どうでもいいなこの話。

 

まぁそういうことで自分を知るには強制的に動きを出す必要がある。自分の立場を変えたり、場所を移動してみたり、他者の視点を取り入れたり。

経験上一番良いのは、家族や友人に聞いてみるのが良い。自分で気づいていない自分を紹介してくれる。

 

ウェルビーイング自体はすごく主体的で主観的なことだけど、ウェルビーイングを高めるために客観的な視点が効果が高いということは、とてもバランスがとれていて良いなと思う。